何かやるべきことがあって、そのことを確認するために、誰かに尋ねる
そんなことも分からないのかと、残念そうな感じで受け答えをされる
こちらに気力が残っているとき、心の元気が残っているとき、落ち込んでいないとき、そんな時であれば、あんないい方しなくてもいいのに、などと軽く対処できるかもしれない
でも、精神的にいっぱいいっぱいの時であったり、肉体的にしんどい時だと、相手に怒りを感じたり、自分のふがいなさに嫌気がさして、職場や仕事も嫌になってくる。人生がつまらなくなってくる。
何かしら失敗をしてしまい、そのことを残念そうな感じで「なんでそんなことができないの」という対応をする人がいる。ものすごい顔で「うそでしょ?」などと言われたことがあったな…

中学生か高校生の頃、何か忘れ物をして、家に連絡すると、休みだった父親が電話口に出て、忘れ物のことを言うと、切れまくって怒鳴られた続けたことがある。しばらくして学校まで持って来てくれたのだが、休み時間が終わっても、「情けない」と言って怒られ続けたことがある。 おまえはダメな奴だとずっと言われた。あの残念そうに言う顔と言い方が、どうも苦手である。 何か失敗すると「なぜ失敗したのか」と迫られる恐怖が子どものころずっとあった。

30代のころだったか… 友人宅に行って食事をして、さあ帰ろうとなり、お酒を飲んでいない友人が、1時間くらいかけて私の家まで送ってくれたことがある。 家に着き、玄関を開けようとするまで気づかなかったのだが、鍵をどこかで落としてしまっていた。 帰っている途中の友人に電話をすると、車に忘れていないか調べてくれたが見つからない… 友人が1時間くらいかけて帰り着き、部屋を調べると、私が座っていたところに落ちていた… 友人は穏やかに、「暇やし、今から持っていくよ」と言ってくれた 申し訳ない気持ちで家の前で待った 友人が再び戻ってきてくれた時、もう夜中の12時を過ぎていた 「ごめん。 ありがとう。 助かったよ」と言うと、 察した友人は「金はいらないから」「また飯食おうや」と笑顔で去っていった
失敗しても責めることなく笑顔で対応してくれた友人がたくさんいてくれた。小さなころの記憶は消えないけれど、失敗したときやうまくできないとき、なるべく温かい気持ちで接しようと思えるようになっていけた。


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