今日は生徒と読書会をやっています。E.H.カー著、清水幾太郎訳、『歴史とは何か』。一人で読んでも最後まで読むことができなかった本です。それにチャレンジしよう、どうせなら生徒を巻き込もう、そう思って午前中1時間くらい読みました。進んだのは2ページちょっとですが、すべての文が脳に浸透したように思います。1文ずつ生徒が音読します。意味があやふやな言葉を調べ、分かりにくいと感じる言いまわしにじっくり取り組んでいきました。途中、ロスチャイルド家の話になったり、新幹線での移動の話になったりしました。
旅行先から新幹線や飛行機で帰ってくると、心はまだ旅行先にいるような気分になったかとはありませんか。体は移動したけれども、心の移動が追い付いていないように思います。読書の場合であれば、難解な文章は、さらりと読んだだけでは、読んだものの脳は理解できていない状態なのではないかと思います。しかし、ゆっくり読み、繰り返し読んでいるうちに、なるほどと思える瞬間が来るように感じます。これを応用すると、人に意見するときに、一気にあれこれ言うのではなく、少しの量を言ったら、相手の理解をゆっくり待つのがいいのかもしれないと思えてきました。相手と足並みをそろえ、共感しあっていくには「ゆっくり」「少しずつ」というのは、重要なのかもしれないとも思えてきました。

脱線しましたが、読むスピードは、ゆっくりがいいと改めて思いました。言葉が体に浸透していくスピードは人それぞれだと思いますので、高速で処理していくことが得意な方は、速読がいいと思います。今日の読書では、ゆっくり読んでいって、生徒も私も理解でき次第進んでいったおかげで、ささっと読んだだけでは考えることはなかったのではないかということを考えることができたのはよかったし、何より生徒と同時進行で過去の叡智に触れることができてよかったと思います。

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