中学生のころ、夏の暑い日、隣町の寿屋という百貨店へよく行った。特に何かを買うわけでもなく、ただ涼みに行くだけ。冷たい空気が充満しており、ひんやりした空間、店内に流れる陽気なBGM。♪いらっしゃいませ こんにちは あなたの街の寿屋 … 女性の歌声が心地よかった
友人と「涼しいねえ」と言いあったかどうかは記憶にないが、エスカレーターで移動しているシーンが、鮮明に蘇る。
子どもの頃の私にとって、百貨店は、何かを「買う」ための場所ではなかった。思い返すと、「過ごす」ための場所だったのかもしれない。1階では食料品が売られていて、見ているだけでお腹がすいてくる。試食コーナーがあったのかは思い出せない…。家電の階、文房具や書籍の階、イベントの屋上…。

あれから40年。私たちは「コスパ」という言葉を口にしながら、百貨店から遠ざかっていった。ネットのほうが安い。モールのほうがいい。スマホのほうが便利。 気づけば、百貨店の屋上遊園地は閉鎖され、手書きの熨斗紙(のしがみ)を準備してくれた贈答カウンターも姿を消した。笑顔でエレベーターを操作してくれた係員の「何階へお越しですか?」という声も、もう聞こえない。
私たちはそんな日々に背を向けたのかもしれない。あの涼しさの中に感じるべきだった、見えない恩。
美しい包装紙や言葉づかいから感じれるお客への敬意。それを「価格の比較」や「スピードの差」に置き換えてしまった。
少し飛躍しているかもしれないが、百貨店は、日本にとって「粋」の学校だったのではないだろうか。洗練された店員の身のこなし、贈り物を熟知している店員との会話など、商品を美しく展示する等々、コスパとはあまり縁のない部分である。「粋」とは、静かに、さりげなく、人や物に敬意を払うふるまいのことだと思う。そう考えると、その精神が息づいていたのが、百貨店という空間だったように思えてくる。
あっちの方が安いから、あっちで買おう。それもいいけれど、「ねえ、なんでネットで1,000円で買えるのに、ここで1,500円で買うの」って聞かれたら、「恩があるからね」と涼しい顔で答えられるような人生が楽しいように思える、今日この頃。



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